今朝、桧垣マネージャーが毎日新聞をケアプラン室へ持ってきた。それには、『老いの孤独』というテーマで毎日毎日死にたいと願ったある99歳の女性の特集記事だった。
一昔前は、人生50年だった。今は、80歳なんてまだまだ若いうちだ。私の利用者でも90歳以上が数人いる。友人知人はみんな死に、孤独感がつのり、動かなくなった身体を家族に世話してもらうことのむなしさ、切なさ・・・・洗面器に水をはり、顔を沈めても「なかなか死なんもんだねえ・・・」とつぶやく。
そんなメモを多数残していたらしい。
長寿って、お祝いすべきことだけど、生きていてよかったと思える環境にあってこそだと思える。寝たきりで全ての世話を人に依存しなければ生きられなくなったら、やっぱり生きることも辛くなるのかなあ・・・と思う。
しかし、私の利用者の中で、ほとんど寝たきりだけど、かいがしく母親の世話をする娘様がいる。言葉も十分発することが出来ないのに、訪問すると、「昨日、主人と喧嘩したのよ。こんなに苦労して世話をしているのに、ありがとうの一言もないのよ。男性のやさしさに飢えてるの、私。」なんて訪問するたびに私に訴える奥様がいる。肩をすくめ、わぉ~ラブラブ~!!なんて思ってしまう。
ただ、生きているだけでも、家族のささえになっているのだ。こんな例もたくさんあると思う。
いったいいつが、死に時なのだろう。
宇野 恵子