25日、26日はデイサービスの内覧会があった。ケアマネとして、あちこちのデイサービス内覧会に出席したが、ひいき目なしにたくさんの人が駆けつけてくれた。
ケーキバイキングもよかったね。まるでカフェテラスにいるような雰囲気でテーブルは満席だ。笑顔の中で内覧会を終えることが出来た。デイサービス職員が必死に動いている姿が初々しい。今の気持ちを利用者が増えてもずっと持ち続けてもらえることを望みたい。
続 骨折る記
6月12日 火曜日 入院5日目
昨夜は右膝が痛くて眠れなかった。今朝M先生に伝えると、関節内に血腫が貯まっているのだろうとのこと。手術前に穿刺して吸引しますとの返事。
私は今まで看護師としてどれだけたくさんの患者さんの関節穿刺を見てきただろう。まさか、自分がされる側にまわるとはね・・・・。なんとも複雑な気分。
さて、私は3食病院食をたべているわけだが、病院食を食べていると、今まで私がいかにカロリーオーバーしていたかがわかる。そりゃあ、運動している訳ではないが、食事の量は今までの半分だ。5分で食べて1時間後には腹をすかしている。主治医は私の体型を一目見るなり迷うことなく「カロリー制限食、減塩食」を指示したようだ。M先生に
「私に断りなくカロリー制限食にしたでしょ?」と問うと、笑って、「一カ月後感謝しますよ。」とすましている。
これは痩せるぞ。よし、絶対に間食をせずに、この空腹に耐えてみせよう。
6月13日 水曜日 入院6日目
もう長い間入院している気になっているが、まだ1週間も過ぎていない。右足を使えないことでの不自由さにまだ慣れていない。
15日の手術まであと2日。M先生がやってきて、関節内にたまっている血腫を抜きましょうと言われた。私は上体をおこして、膝を消毒しているのをじっと見ていた。消毒が終わり、看護師が
「今から穿刺しますから、寝てください。」と言ったので、
「いえ、見ておきます。」と言うと、M先生があきれたように「豪快だなあ・・・」と言いながら膝を太い注射針で穿刺した。みるみるうちに50mlの注射器内は暗赤色の血液で満たされていく。折れた骨の骨髄からの出血だ。なんとも言えない気持ちになりながら、50ml以上の血液を見ていた。
痛みが少しはひいてきたようだ。
12:30 ケアプランの山下ケアマネが突然顔を見せる。彼女の顔を見た途端、懐かしさと申し訳なさで、ボロボロと涙がこぼれた。顔をくしゃくしゃにして、泣きじゃくる。
私の担当利用者にSさんがいる。敬けんなクリスチャンで、そのSさんからハンカチを預かってきたというのだ。そのハンカチにしっかりお祈りをささげたから、ハンカチを膝に乗せてくださいと言われたそうだ。
ハンカチを受け取り、今膝の上にかざしている。利用者の暖かい心が伝わってくる。
6月14日 木曜日 入院7日目
昨夜、となりに寝ているおばあちゃんにせん妄が出た。夜中意味不明な言葉を大声で叫んでいる。高齢者が入院したらせん妄が出るとの知識はあったが、まじかでそれを見ることが出来た。
おばあちゃんはすぐに看護師がベッドごと別の部屋に運び、静寂が戻った。
いよいよ、明日手術。主治医も看護師も今日は朝からその話ばかりする。緊張は・・・・・ないなあ。怖がってもしょうがない。手術しなければ私の足は機能しないのだ。
看護師から、「眠れそうですか?睡眠剤だしましょうか。」と問われた。
「いらない。どうせ手術中にたっぷり寝れるから。」と答える。
17:30 「宇野さん!」という声に振り向くと、なんとそこに立っていたのは、日赤病院や博愛会病院の手術室にいた時に大変お世話になった麻酔科のS先生。もう20年以上前から知っている先生だ。
なんということ。S先生がこの福岡整形病院にも麻酔をかけにきているなんて?!ポカンとした顔をしていると、
「明日の手術予定を確認していたら、ナースが20年以上手術室勤務経験ありって書いていたけんね。これは、絶対あの宇野さんばいと思って駈けつけてきたよ。」いつもの柔和な笑顔で言われた。
「明日は大丈夫。ずっとついとくからね。術後も痛みがないように、スペシャル麻酔をかけちゃるたい!!」
私がこれまで働いてきた中で培ってきたさまざまな人間関係が、思いがけない所でひょっこり顔を出す。そんな奇跡を人生の終盤になって体験することが最近多々ある。本当にうれしい出会いだった。
明日、手術室でS先生に会うのが楽しみになってきたぞ。
6月15日 金曜日 入院8日目 手術日
午前中から点滴に繋がれ、不自由きまわりない。
看護師から「今日は手術日だから、煙草はだめですよ。」と言われた。
ごめんなさい。点滴ひっさげて、もう2回喫煙所通いしました・・・・
午後3時、笑って手術室入室。麻酔のS先生に挨拶し、硬膜外麻酔中に意識消失。
つづく