昨日、「認知症になっても、住み慣れた地域で」というようなテーマでシンポジウムがあり、出席した。小規模多機能施設や訪問看護師から意見が述べられたが、小規模多機能施設を利用している母親の息子様が家族の思いとして発表された。
同業者の専門職の人たちの話よりも、実際に家族介護を行っているその息子様の話が心に響いた。認知症になった母親を否定することは、自分を否定することだという意味で、一生懸命介護されている。しかし、心血を注いて介護しようとも、その見返りはまったくないということをしみじみと感じているとのこと。ありがとうも、すまないねの一言もないのが、認知症の介護であると訴えられた。
区役所に相談に言ったが、資料を見せ、「認知症のセミナーがありますよ。まず、認知症を理解することから始めましょうとか、認知症の人への対応の基本はこうですよ、などと言われたが、そんな話はまったく役にたたなかったです。一般論じゃ、何の役にもたたんとです。」というくだりの話には、心の中で拍手。
高齢化社会となり、認知症を患う人はいっぱいになるから、地域の人たちがお互いに協力しあい、見守りをしていきましょうとのスローガンがある。さて、専門職がそんなスローガンをいくら掲げても、実際に地域にそんな力があるのだろうか?まずは、昔々のおせっかい長屋のような意識を持たないことには、それは、無理というもの。
プライバシーを重視するようになった風潮の中で、どれだけのことがやれるのだろう。みんな自分の生活だけで精いっぱいで地域のために働こうという意識の人は少ない。旦那が体育委員という地域の役員をしたことがある。任期満了となり、さあ、次は誰がやってくれるかと奔走したが、誰も引き受けなくて、もう一期役員を続けざるを得なかった。
偉そうなことを言っている私でさえ、朝仕事に出かけ、帰りはどっぷり日が暮れた夜中だ。ほぼ一週間、地域の人と会話をすることはない。地域活動を一番軽んじているのは、この私である。
笑えるエピソードがある。ある朝、旦那が、「隣の○○さん、帰ってきたみたいやね。」とつぶやいた。「えっ?留守してたん?」旦那があきれていった。
「もう、一か月雨戸がしまっとったじゃないか?どこかに入院しとったんだぞ。ほらっ、今朝、雨戸が開いとるやないか!」・・・・・おみそれしました・・・・
仕事をやめても、旦那はきっと地域で生きていける。私は?おしゃべりする相手もなく、きっと引きこもるだろう。
だからではないが、私は仕事を辞めたあとは、民生委員になりたいなと思っている。長年住まわせてくれた地域への恩返しだ。
看護師とケアマネージャーの資格を持つ民生委員。最強じゃない?
宇野 恵子