6月26日 火曜日 入院19日目 術後11日目
右膝と腸骨部分のガーゼがとれた。傷が生々しい。腸骨部の傷はやっぱり腹圧をかけると痛み、トイレでは、傷をしっかり手で押さえながら行っている。早く痛まないようにならないと、私は便秘で苦しむぞ~
今週で6月が終わる。おそらく6月、7月、8月は病院暮らしだろう。あせる気持ちを主治医に訴えたら、
「気持ちがあせったところで、骨が早くつながることはありませんよ。」と言われた。そうだね。もう、なるようになれ!だ。
姪浜の安藤さんが本を数冊届けてくれた。その中に「夫婦の手紙」というのがあった。北海道のある街で夫婦の手紙コンクールを行い、それを本にしたらしい。どの手紙も、妻をいたわり、夫をいたわり、相手に感謝する言葉がつづられており、読みながら感動して自然に涙がこぼれた。
読みながら、私は旦那のことを思った。入院した日から毎日かかさず病院に顔をみせてあれこれ世話をしてくれる。黙って洗濯物を持ちかえる。当たり前みたいにふるまう旦那に、私はいつ、感謝の言葉を言えばいいのだろう・・・・
6月27日 水曜日 入院20日目 術後12日目
専務と稲垣管理者が笑顔を見せながらきてくれた。
二人の顔を見るとホッとする。会社で私はまだ忘れられていないと妙に安心する。
6月28日 木曜日 入院21日目 術後13日目
主治医のM先生から、ギプスは来週はずしましょうと言われた。やった。足が軽くなる。でも、荷重は以前として厳禁だ。
「もし、今体重をかけたらどうなりますか?」と問うてみた。
「移植してやっと平らになった関節面が又陥没して、再手術ですね。」とこともなげに言う。うわお!それだけは御勘弁。ギプスで患部を守っているという意識があったが、ギプスがなくなると少し怖いなとも思う。
確実に治癒に向け、プログラムが進んでいると感じる。来週からCPMという器械で、強制的に右膝をまげる訓練が始まる。しかし、その膝の曲げ伸ばしに2時間をかけると言うのだ。2時間も器械につながれてしまうのか・・・
なんだか今日は妙に気持ちがいらついている。先が見えない不安だろうか・・・・・
6月30日 土曜日 入院23日目 術後15日目
本日よりCPMが始まった。本日の角度は65度に設定された。元気な時は65度の角度なんてへでもなかったのに、そのわずかな角度に軽度の痛みが走り、2時間その痛みに耐えた。直角にもならない角度だ。思ったほど膝が曲がらないことに落胆している。
でも、明日は70度に設定してもらおう。MAXは130度らしい。先は長い。
昼過ぎ、廊下で大きな声がして、どうも聞いたことがある声だと思って廊下を見ると、利用者の旦那様だった。言いたいことをはっきり言うがさっぱりしていて、とても奥様の介護に熱心な御主人だ。
「あんたが退院するまでまっとくばい。俺はケアワーク九州には何の恩義もないけんな。あんたがやめたら、他の事業所のケアマネに変わるつもりだから、頑張ってはよ直さなね。」
言葉は乱暴だが、精一杯の私への励ましだとわかる。「そんな脅迫しないでください。」と言いながら笑いあう。
7月2日 月曜日 入院25日目 術後17日目
今日から右足は床につけないまま、歩行器を使用する訓練をリハビリ室で受けた。左足で床を蹴ってから、この重たい身体を支えるのは両腕と大胸筋のみ。
リハビリ室を一周するのも難しくアフアフと息を切らし、「もう無理~」と担当PTにすがるような視線を送った。
「体力がないですねえ・・・」と、PTはあきれて首を振っている。
「私、以前右腕の腱を切ったことがあるんです。だから、腕に力が入らないんですよ!」
「いえ。腕をささえるのは、その腱じゃありません。単に、筋力がないんです。」 とニタッとしてPTが答える。
怪我する前に、運動不足だからジムにでも行かなくちゃ、と思ってたんだってば!
これから長いリハビリ生活。担当PTとの攻防戦となりそうで、ある意味楽しみ。私がへたばると、このPTが困ったような顔をしてくりくりお目目を伏せるのが、また、かわいいんだ!
つづく
つづく