以前にも書いたことがあるが、末期癌の利用者の介護認定を申請しても、要支援が出ることの矛盾を怒りを込めて書いた。倦怠感が強く、室内を歩くのさえ辛くても、認定調査員から「立って。」「座って。」「手をあげて。」と言われれば、そのとおりに出来る。だって、麻痺があるわけじゃないから・・・・そして、要支援の認定結果が送られてくる。要支援という区分では、サービス内容が著しく制限されている。倦怠感が強く、起きあがることさえ辛くても、ヘルパーがサービスに入れるのは、週に1~2日。
本日、末期癌の利用者の孤独死が発見された。昼間、ヘルパーが予定のサービスに入ろうとしても、玄関の鍵がかけられたまま、応答がない。その報告を受け、担当ケアマネが病院や親族に連絡をとり、外出しているかどうかの確認をしたが、その形跡はなかった。気になり、自宅に向かう。ドアの郵便受けからのぞくと、足らしき一部分が見えた。大きな声で呼んでもぴくりともしない。その報告を受け、私も自宅にむかった。なんとかこじ開けた網戸から顔の一部分がみえる。でも、一目で死亡してるのがわかった。それから、救急車、警察へ連絡・・・・
アパートの管理会社職員が到着し、やっとドアがあく。救急隊は、死後硬直があり、蘇生の可能性はないといって、帰った。苦しさはなかったのだろう。おだやかなその死顔をみて、無性に涙がこぼれた。悲しさからではない。くやしいからだ。要支援だから、ヘルパーは三日前に入ったきり。そのあと、誰とも接触することなく、死亡したのが、昨日なのか、今日なのかさえもわからない。これが、行政が決めた、要介護認定のしくみ・・・・
警察から、最後に生存を確認したのはいつ?と聞かれ、三日前のヘルパーですと答えなければならない悔しさ・・・・・
末期癌では、常に急変がある。身体に麻痺はないけれど、体調悪化による生活機能の低下がある。その点をちっとも勘案していない介護認定に腹が立つ。
末期癌では、ホスピスという施設がある。よりよい死を迎えることが出来るよう、あらゆる手立てが講じられている。それなのに、なぜ、在宅で暮らす末期癌患者には、要支援の認定を出し、介護サービスが著しく制限されるのか・・・・?
そんな怒りでいっぱいな状態の時に、別の末期癌患者の認定結果がわかった。また、要支援1であった・・・・・この利用者の腹部を触った時に、拳大の肝臓腫瘍がしっかり触れたというのに・・・腫瘍が破裂すれば、そこで、死亡するのに。また、同じような悔しさを味わうことになるのか・・・?
宇野 恵子
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